Congratulatory Message

お祝いのメッセージ

滋賀医科大学の卒業生や関係各所から50周年を迎えお祝いメッセージをいただいております。

卒業生・その他

17期生

牧石 徹也

画像:牧石 徹也

17期生の牧石です。サカトモ(学年幹事)から原稿を書くよう指示があり−どうもオザワの入れ知恵らしい−、その時点で締切り1週前でした。適任者は他に大勢おられると思いますがそういう事情です。近況ですが、縁あって数年前から島根大学で働いています。同期の藤谷、テニス部でしばき倒された熱心にご指導下さった一学年上の金﨑さんが、それぞれ基礎と臨床の重鎮教授でおられいつも助けてもらっています。藤谷はゴルフ沼にハマっていて、ゴルフ部の顧問をしています。

母校が創立50年とのこと。ちょうど我々17期生もその辺りの年齢の方が多いかと思います。「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」(論語)そうですが、自分自身の精神構造は滋賀医大に入学した頃と大して変わらず、医師としても患者さんの枕の位置を変える程度のことに終始しています。おそらく母校は変わったのでしょうね。我々が入学した頃は龍谷大学も立命館大学もなければ南草津に街はなく、およそ大学の周りにはヘンテコリンなヤンマーの社屋があるのみでした。受験の日も入学式の日も曇り空で、晴れやかな人生の節目にありながら皆一様に微妙な表情だった気がします。1学年100人のみの単科大学、A組B組50人ずつ、高校時代と変わらない教室、机と椅子。受験勉強の向こうに待っているはずのキラキラした「キャンパスライフ」はそこにはないように見えました。

ところが、です。住めば都、石の上にも3年、コーポ松尾には6年とはよく言ったもの。希望ヶ丘での泊まりがけの懇親会から続く日々のなんと濃密であったこと。テニス部(と野崎先生)、スキー部(と山川先生)、石走会、学園祭(とアミーゴ)、ローゼン(とおかみさん)、ファーストポケットビル、凝縮された6年間。スマホはおろかネットすらない牧歌的な時代、カリキュラムもおおらかで、いわゆるモラトリアムな雰囲気にたっぷりと浸かりながら、それでいて皆それぞれ必死にもがいてましたよね。時代はバブルの余韻が冷めて就職氷河期へ移り、オウム真理教事件や阪神淡路大震災が起こるなど20世紀末の決して明るくない世相の中で卒業を迎えました。今振り返れば、笑いと感謝、後悔と挫折、申し訳なさ、野望(無謀)、幾つかのとても悲しい事故、そんな感情が断片的な記憶とともに湧き上がってくるのを感じます。我々が6年生だった1996年発売の年間シングルベストはミスチルの『名もなき詩』でした(俺調べ)。

なーんて知った風なことを書きながらも、もう一度滋賀医大の1年次に戻ったら同じ失敗を繰り返す確信あり笑。同期のみんなもそうじゃない?だって卒業10年の同窓会では、立場は違えど全員あの頃とまったく変わってなかったやん。同期の皆さん、あの頃の滋賀医大の包容力に感謝しつつ、卒業30年の同窓会ではお互い少しは成長してお会いしましょう!滋賀医大開学50年、おめでとうございます。

島大第一内科教授室にて。左から藤谷(17期)、牧石、金﨑さん(16期)

テニス部の近しい学年の懇親会で。左から藤谷さん(旧姓瀬木)(17期)、野崎先生、田﨑さん(旧姓杉浦)(17期)

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