Congratulatory Message

お祝いのメッセージ

滋賀医科大学の卒業生や関係各所から50周年を迎えお祝いメッセージをいただいております。

滋賀医科大学 名誉教授

三ツ浪 健一

画像:三ツ浪 健一

第28回「国内医科大学視察と討論の会」

滋賀医科大学が開学して3年半後の1978年4月に、私は内科学第一講座に着任し、新しい大学の新しい講座で、新たに心筋代謝の研究を開始しました。これにより、20年後には磁気共鳴スペクトロスコピーによる心筋のviability(生存能力)評価について一定の成果が得られ、やっと世界の中でもユニークな研究として認められるようになりました。夢を求めた20年でした。

1998年3月からは附属病院に新設された総合診療部に移り、臓器別あるいはそれ以上に細分化・専門化した医療では解決できない問題に、非選択的・包括的に対応できる総合医の育成を目指しました。文部科学省から支援を受けた地域貢献特別支援事業や現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)・地域医療等社会的ニーズに対応した質の高い医療人養成推進プログラム(医療人GP)による新しい医学教育プログラム開発が評価され、2008年1月には新しい臨床医学講座である家庭医療学講座を開設していただきました。そして同年の9月11-12日には第28回「国内医科大学視察と討論の会」が滋賀医科大学で開催されました。これは、全国の国公私立大学医学部を会員とする公益財団法人医学教育振興財団が毎年国内の医科大学(医学部)1校を選び、その医学教育システム及びカリキュラム等について実地に視察研究し、医学教育の改善に資するもので、全国の医学教育者が一堂に会しました。この中で私は「全人的医療のための地域基盤型医学教育」について講演し、その後の討論で全人的医療を実現できる医師の養成について多くの医学教育者と熱く語り合ったことが、一番の思い出です。

今後とも、滋賀医科大学の素晴らしい医学教育により、多くの良き医療人が輩出されることを心から望んでいます。

滋賀医科大学 名誉教授

東近江総合医療センター 院長

野﨑 和彦

開学50周年誠におめでとうございます。

平成20年2月より令和4年3月までの14年間、貴学の脳神経外科学講座を運営させていただきました。寒い1月下旬に50個の段ボール箱とともに一人で滋賀に引っ越しし、また瀬田駅前に通勤10分以内のワンルームマンションを賃貸し緊急に対応してきたことが懐かしく思い出されます。講座の運営方針として「何でもできる」から「これなら負けない」を目指し、各領域で全国区となるようなエキスパートを育てることを目標にしておりました。そのために国内の脳神経外科学講座や大きな病院の有名な先生を滋賀にお招きし講演会や交流会を定期的に開き、講座員が異文化に接する機会を作っておりました。また海外との交流も重要であると認識し、当講座への留学生との縁でインドネシア大学脳神経外科および関連施設において、解剖実習、吻合実習、手術などの手伝いをさせていただき、以降も両大学間でWEBカンファレンスを定期的に行い症例の検討を続けておりました。脳神経外科医を目指すインドネシアのレジデントの生き生きした目が印象深く残っています。

インドネシア大学脳神経外科レジデントとともに

小生からレジデントに送ったメッセージ

研究においては、動物モデルを用いた脳動脈瘤の基礎研究や滋賀県全県型脳卒中登録研究事業などを行い、現在も進行中です。

貴学は医療に特化した医科大学であるため、総合大学の強みである学内の工学系の施設との密な交流によるシーズ発掘や技術開発はできません。また、山の上の大学として本線からは目視できないという不利な立地もあります。しかし、内向きにならず孤立することなく県内・県外の医療・教育機関、行政、各ステークホルダーとの連携を積極的に作り進めることで、「これなら他大学には負けない」という貴学ならではの強みや特徴を生み育てていただければと思います。そして「地域に支えられ地域に貢献し世界に羽ばたく大学」の理念のもと、まず最重要事項として地域医療の維持発展にご尽力いただくとともに、さらに国内・国外交流や共同研究などを通して世界に発信できる医療へと展開されることを祈念しております。

滋賀医科大学 名誉教授

工藤 基

マクロ解剖の系譜

私は滋賀医大を2015年に退職し、現在は大津赤十字看護専門学校他で、非常勤講師をしております。岡山大学を卒業した後、熊本大学、京都大学、フロリダ州立大学、金沢大学、と任地を転々としながら、神経解剖学の道を歩んでまいりました。本稿ではマクロ解剖に関することに絞って一筆啓上します。

マクロ解剖、とりわけ人体解剖実習は医学教育のハイライトであります。篤志献体団体(しゃくなげ会)が「ご遺体こそは尊き師なり」の精神を守って、滋賀医大の解剖教育を支えていただいていることに感謝します。多くの医学生がこの精神に感銘を受けながら解剖実習に取り組み、育っていったことと思います。

谷徹(消化器外科)と浅井徹(心臓血管外科)の両教授が、滋賀医大が誇る偉大な外科医であることは、よくご存知のことと思います。お二人は金沢大学の出身で、学生時代に山田致知教授からマクロ解剖を学んでおられます。谷徹先生は「あの時の体験が外科医として人体構造を理解する基になっている」と述べられていました。

私が受けたマクロ教育を少し述べさせてください。岡山大学の大内弘教授がその人でした。当時、医学部専門課程はたっぷり4年間あって専門課程1学年の午後は解剖実習に明け暮れたものです。頚部の解剖スケッチを描き、頚神経叢を剖出できた様をよく覚えています。同級生の畏友、大谷修先生(富山大学名誉教授)はマクロ解剖の達人で、大内弘教授の直弟子です。大谷修先生のおかげで、マクロ関係の共著を2つほど出すことができました。

滋賀医大在任中、最後のお弟子さんに、本間智君(現在金沢医科大学教授)と巡り会えたのは幸運でした。彼のおかげで、マクロ解剖の目が開かれました。本間智君は、山田致知先生の孫弟子にあたります。つまり、新潟大学の熊木克治教授に学生時代に教育をうけ、熊本大学の児玉公道教授のもとでマクロ解剖の研鑽を積まれました。私は素人であるにも関わらず、マクロ関係の論文を本間智先生との共著で、いくつか著すことができました。

「解剖見学」は地域への貢献として、医科大学の解剖教室ができる大きな使命だと思えるようになりました。私は微力ながら、滋賀県下の専門学校生にも本物の人体で解剖学を学んでほしいと願い、これを制度化しました。今は全国的に行われているようです。私も現在、非常勤講師として、メディカルスタッフ学生に解剖生理学を教える上で、マクロ解剖学の重要性を感じています。

写真は、2013年リスボンで開かれたヨーロッパ臨床解剖学会で、本間智先生の研究成果を発表した著者です。

滋賀医科大学 名誉教授

市立野洲病院 病院事業管理者

前川 聡

滋賀医大のこれまでとこれから

滋賀医科大学が県民の熱い要望にて誘致、開学して約半世紀。入学間もない頃、JR草津駅に集合し、草津本陣、大学予定地、国府跡を見学し、最後にJR石山駅で解散するという課外授業がありましたが、その当時、大学建設予定地は、まだ山を切り崩しただけの広大な平地でした。その後、管理棟や基礎研究棟などの建設が始まりました。私たち1期生が守山市の仮校舎から瀬田に移ってきたのは、2回生の秋でした。滋賀医大建設当時の写真が古いアルバムから見つかりましたので紹介します。(写真1)

(写真1)建設当時の滋賀医科大学

約50年が経ち、その間、多くの施設が建設され、現在、附属病院の機能強化棟が建設されて、滋賀医科大学が発展していく姿を見て感慨深いものがあります。滋賀医大には、県民の健康・福祉・医療に貢献し、地域を支える医療の最後の砦として、また優れた医療人を育成し、地域の医療機関に派遣する教育機関として、これからも大いに期待しています。

私も、現在市立野洲病院に勤務し、新病院の整備を進めているところです。新病院整備事業においては、上本伸二学長をはじめ、田中俊宏病院長、今井晋二教授には長年ご指導・ご高配を受けております。2023年11月に基本設計、実施設計、施工を一括して行うデザインビルド方式による事業者が決定し、ようやく新病院の2026年度末の移転、開院が見えてきました。新野洲市民病院の完成予想図を紹介します(写真2)。今後は、ソフト面も充実させ、若い先生方に選んでいただける病院となるよう目指しておりますのでご支援の程よろしくお願いします。

(写真2)野洲市民病院 完成予想図

滋賀医科大学 名誉教授

高橋 三郎

画像:高橋 三郎

滋賀医科大学を定年退職してはや28年になる。義叔父の開設した埼玉県熊谷市の精神科病院院長として日本の診療現場の一端を担い、一臨床医としても地道な診療を続けてきた。毎年、精神医学系統講義1コマを担当して滋賀医科大学の発展の有様をみてきた。専門の精神科では、疾患に対する偏見が改善し、今日の外来患者の大多数が軽症の不安障害や適応反応症という時代になった。

1974の本学開学時、守山の仮校舎で教授予定者として初めての会議に出席した後、まだ整地中で何の建物もなかった瀬田の予定地に案内されたときの寂しさも今となっては幻である。かつて1887年全国を5つの学区に分けそれぞれに高等中学校(大学予備門)を建設したとき、母校の〔旧制〕第四高等学校も校舎完成まで3年がかりで第1期生は師範学校などの仮校舎で授業を受けたという話である。それが日本のやり方かと驚かなかった。

1978年から精神医学講座を担当するにあたり、新しい大学には新しい基本をと思い、丁度APA(アメリカ精神医学会)が1980年に発行したDSM-IIIを導入した。これは精神疾患の診断学の革命ともいえるもので、蓄積された科学的データを統計学的に分析し数値化して再構成する診断システムである。この方向は、我が国の精神医学会にも少しずつ浸透してきており、2013年のDSM-5マニュアル発行時には、日本精神神経学会でも「精神科病名検討連絡会」が設置されてガイドラインも作成されるようになり、今日、DSMは精神疾患の国際診断基準となっている。2022年には9年ぶりにアップデートされて「DSM-5-TR精神疾患の診断・統計マニュアル」となって、今年のお正月にはその監訳で大変忙しい思いをし、その訳著が医学書院より2023年6月に出版されたばかりである。40年余に渡り、この仕事に取り組んできた私にとっても喜ばしい変化である。

私の在任中精神医学を専攻したものの中から、地元の滋賀県では、県立精神医療センター病院長に大井健(3期生、1983)、県立精神保健福祉センター所長に辻本哲士(大学院1991)、滋賀医科大学精神医学講座教授に尾関祐二(13期生、1993)、同准教授に藤井久彌子(14期生、1994)などが地元での精神医療を守っている。精神医学講座からは山田尚登(2期生、元滋賀医科大学精神医学講座教授、副学長〕、下田和孝(3期生、元獨協医科大学精神神経医学講座主任教授、現栃木県立岡本台病院院長〕、塩入俊樹(7期生、現岐阜大学精神病理学分野教授)、加藤忠史(東大1988,現順天堂大学精神・行動科学主任教授)が現在ご活躍中である。この他、元准教授髙橋清久(元国立精神神経センター総長)、元准教授加藤進昌(元東京大学・昭和大学精神医学教授〕、元講師染矢俊幸(現新潟大学医学部長、精神医学講座教授)等がご活躍中である。それぞれの絶え間ないご努力のたまものである。

湖都通信が郵便で届くたびに滋賀医科大学の素晴らしい発展ぶりが目に見える。どうか何時までも「大空に、高く泳ぐは湖医のぼり」であってほしい。

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