Congratulatory Message

お祝いのメッセージ

滋賀医科大学の卒業生や関係各所から50周年を迎えお祝いメッセージをいただいております。

卒業生・その他

元 カフェテラス・ローゼン

今井 緑、森口 泉、松崎 剛

画像:今井 緑、森口 泉、松崎 剛

滋賀医科大学が開学50周年を迎えられた事、誠におめでとうございます。皆様方にご贔屓いただいた「カフェテラスローゼン」は、父・安宏と母・幸子が約50年前に一里山一丁目にオープンさせ、昭和55年に現在の場所に移転し、2017年まで営業しておりました。夫婦2人で細々と営業しておりましたが、姉2人と私もよく手伝っていた為、「子供食堂」と言われていたのも懐かしい思い出です。

又、カウンターで勉強していた時、学生だった皆様に教えて頂いた記憶があります。

残念ながら両親は体調を崩し、亡くなってしまい、お店は閉店しました。
生前、両親はよく学生さん達の話をし、自分の子供の様に思って一喜一憂していた事、勝手に席の横に座って談笑していた事を思い出します。

姉弟3人共、今回のお話を頂いて、懐かしく、温かい気持ちになりました。
皆様方、医療の専門分野でご活躍されていると思いますが、どうかお体を大切にして頂き、病気で苦しんでいる方々を助けて頂きます様お願いします。
この先、地域に愛されている滋賀医科大学の歴史が長く続くよう、ますますの発展を祈念いたします。

卒業生・その他

27期生

青木 信也

画像:青木 信也

開学50周年をむかえて

開学50周年おめでとうございます。大学を卒業してから、大学構内に入ったのは2,3回だけでしょうか。一度は、部活のOB戦で体育館に。もう一度は、救急部の先生にお会いしに。弱小ながらも楽しかった男子バレー部。人数が少なすぎて、学外の学生とともに大会に出たりしたのもいい思い出。さすがに西医体は出られなかったですが、あの時のメンバーとは今も時々会ったりしている。当時の模試班メンバーには今でも滋賀・京都に戻るときは会うことがある。当時から勉強が出来ず、学長からは「君たち同期は国家試験100%合格でないと困る。」と言われて、模試班のみんなにはとても心配されていた。結果、私たちの同期は100%合格だったが、最後まで一番ヒヤヒヤしていたのは自分だったかもしれない。

学内部活動じゃなきゃいけないとか、同じ大学内の友人じゃないといけないとは思わないが、学生時代に一緒に過ごした仲間はその後も繋がりがあり宝物になる。

救急専門医を取得したのちにお声がけいただき、救急部の見学に来た。市中病院とのいろいろなシステムの違いを知り、また、当時勤務していた神奈川県と滋賀県の違いも知り、学生のときには,気付きもしなかった視点で医療体制を知った。滋賀県に戻って、地域医療をするつもりで県外に修行に出たが、いろいろあって今は戻れずにいる。でも、卒業の時点で滋賀を一旦離れたのはよかったのかもしれない。滋賀県の中だけにいてもわからなかっただろうと思うことは、たくさんあるし、戻れば、その経験を滋賀県に合わせて活かすことが出来るだろうと思う。直接的ではなくとも、滋賀県の医療に携わることも出来ると思う。これを機に、ふと、OB会や学祭などに顔を出してみたいと思う。

卒業生・その他

医学科37期

久保 良仁

近況報告と中庭リニューアルに対する思い

医学科37期生の久保と申します。湖医会の学年同窓会幹事を務めています関係で、開学50周年にあたり寄稿させていただく機会を得ましたので最近の近況をつづらせていただきます。

私は現在滋賀医科大学耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座に所属しており、後期研修が終わり、今年8月に耳鼻科の専門医試験を受験しました。専門医試験前は毎日子供を寝かしつけた後にこっそりリビングで勉強をして、さらに、脳血流の増加が合格につながると信じて筋トレを行いました。筋トレがいかほど効果があったかはわかりませんが、がんばった甲斐あって合格することができました。専門医試験後の現在は、子供を寝かしつけた後にこっそりリビングに行くことは続けていますが、勉強ではなくスプラトゥーン3のオンライン対戦に精を出しています。「くぼりん」というハンドルネームのプレイヤーがいたら、僕かもしれません。もちろん、筋トレは卒業しました。

私生活の面では、大学院の研究で細胞培養をしていますので土日も大学に来ることが多いです。そのときたまに妻と1歳と3歳の子供を連れて大学に来ることがあります。清潔操作の作業中は子供達は中庭で遊んでいたり、大学勤務の同期の友達に出会えばお菓子を恵んでもらったりしています。みんなに優しく接してもらえるおかげで意外と子供からすると大学に来るのはけっこう楽しいらしいです。今後とも優しくしてやってください、いつもありがとうございます。

さて、滋賀医科大学開学50周年記念事業で中庭や学生食堂が新しくなるそうです。中庭では学生の時に友達とバーベキューコンロでサンマを焼いた思い出があります。ちょっとガタがきていてレンガが剥がれてきているところがたまにあり、せっかく池にできる部分があるのに通年ずっと干上がっている、浜医戦で浜松医科大学の人たちとビールかけをしたりバーベキューで多少汚しても気にならないくらいの今の中庭が思い出深く、とても僕は気に入っていますが、新しい中庭になるのも楽しみにしています。中庭がいつ新しくなるのか知りませんが、僕の研究が全然結果が出ていない場合は新しくなった中庭に子供を連れてくることになるかもしれません。どちらかというと結果を出して研究をひと段落させて、子供を中庭に連れてくることがないことを祈りたいですが、50周年記念誌の寄稿文ですので、新しい中庭には芝生も作る予定と聞いていますのでそこで子供と過ごすのを楽しみにしています、ということにして締めたいと思います。

卒業生・その他

医13期生

尾関 祐二

画像:尾関 祐二

自分にとっての滋賀医科大学体験は困惑のもとに始まった。今振り返ると、滋賀とはどんな地であるのか理解できていなかったこと、そもそも医学部に入学したが、それが実際に何を意味するのかほぼ自覚できていない状態であったことが困惑の理由であったように思われる。そこでまず思い出されるのは井戸庄三先生である。滋賀県以外の出身者に対して滋賀を知ることを強く説かれ、滋賀に関する知識の基盤を頂いた。今となっては当たり前のことではあるが、医療を実践するには地域を知らないといけない。当時そうしたことには無自覚ではあったが滋賀の知識を授けてもらったことは、今の診療にも役立っているし、どの地で働いても地域を意識するという姿勢の形成にも影響を与えてもらった。そして学年が進み諸先生方にいろいろな指導をいただくことで、医師の役割がおぼろげながら見えてきた。ただの労働といった観点では医師という仕事は把握できない。時に傲慢と敵視されるようなことがあっても、何らかの確固たる思い、医療に対する姿勢がないと継続することがむずかしい役割であるように感じた。また、時に先生に対して失礼なこともしてしまったと後悔することもあるが、そうしたダメな経験を含め少しずつ、医師の自覚が芽生えていったように思われる。こうして知識や意識を授かって卒業。本学精神医学講座に受け入れてもらって、医師生活が始まった。ここで初めて気が付いたのが当直の存在であった。夜病院に泊まって、自分で判断して、朝になっても家に帰らない。病棟スタッフに指示を出す立場であることを知って(当たり前)医師の役割を実感する体たらくである(しかも実際にはしっかりした指示など出せなかった)。結局は自覚に乏しい情けない状況からの医師生活の始まりであったが、幸運であったのは滋賀医科大学精神医学講座への入局であった。当時医局で指導していただいていた先生方は、その半数以上がのちに大学精神科の教授になるなど非常に活動的であった。標準的な精神医学、科学的な根拠を伴った診療と研究(今だとEBMなど言うのでしょうか)。当時の精神科医としては決して多くはないような体制での研修から精神医学を開始できた。これは本当に幸運であったとともに、高橋三郎教授には感謝しかない。なお高橋先生には今でも本学の学生講義を担当していただいている。私としては、してもらったことを後輩にどれくらいできるのかが日々の課題となっている。

本学50周年に寄せて、自分語りとなってしまったが、滋賀医科大学の教育によって一人の精神科医が出来上がっていく過程を通して滋賀医科大学の一面を表すことを試みた。

卒業生・その他

1982年卒 2期生

野村 哲哉

人口減少しない自然豊かな滋賀県

2期生の年齢は、2浪の私が68歳、現役であれば66歳ということになりますので、一般的にはすでに定年を迎えているわけです。幸い医師は定年があってないようなものであり「生涯現役」ということも考えられますが、偶然なのか2024年が働き方改革の始まる年でもあり、老医師がまだ働かなければならなくなる可能性も出てきているようにも思われますが、私のような産婦人科医師は若い妊婦さんには「きもい」と思われているのかもしれません。

現在の滋賀県は、琵琶湖をはじめとして自然に大変恵まれ、自然災害が少なく、多様性を受け入れる文化があることにより流入人口も多く、出生数の減少も全国のトレンドよりは緩やかな県で、人口の減少していない7つの都道府県の一つです。また、日本一長寿の県でもあります。滋賀医大を卒業され全国各地でご活躍されている皆さん、滋賀県も今いろいろな分野で注目されています。スタートアップ企業の進出、スマートシティー・・・など、でもやはりなかなか1番にはなれないのが滋賀県です。

2025年秋に「わたSHIGA輝く国スポ・障スポ」が開催され、「大阪・関西万博」の開催期間は2025年(令和7年)4月13日~10月13日の184日間です。是非その時は滋賀にお立ち寄りください。いやその前に2024年の開学50周年記念の「Home coming day」でお会いできるのを楽しみにしています。

日本子ども虐待防止学会 第29回学術集会 滋賀大会

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