History of SUMS

滋賀医科大学のあゆみ

滋賀医科大学は1974年、「一県一医大」構想の下、滋賀県に開学いたしました。
誘致運動から現在に至るまで試行錯誤と挑戦を繰り返した
50年のあゆみを写真とともに振り返ります。

第1章
県民の熱意に支えられた誘致運動

-1974

1971年(昭和46年)

滋賀県が国立医科大学の設置に係る陳情書を中央政界等に送付。
文部省及び厚労省に設置を陳情。

1972年(昭和47年)

「国立医科大学滋賀県誘致期成会」の大会が開催され、会長に野崎欣一郎滋賀県知事が選任され、事業計画等について決議。

よもやま話Side Story

国立医科大学滋賀県誘致期成会の決議

 滋賀県に国立医科大学を設置することは、県民の多年にわたる念願である。現在、わが国の大学医学部(医科大学)の分布は、その偏在が著しく、近畿府県のうち未設置県は本県のみであり、かつ、医師の充足率においても低位にあり、県民は、医療水準の向上と地域医療の充実を強く望んでいる。
 われわれは、持てる力を結集し、受け入れ体制を整え、新鮮にして創造的な教育理念に基づく国立医科大学の設置の早期実現に邁進する。
 以上決議する。

昭和47年6月1日
国立医科大学滋賀県誘致期成会結成大会

県知事名で文部大臣あてに、「国立滋賀医科大学の設置希望の現状と整備計画」を提出。

よもやま話Side Story

誘致のために幾重もの陳情
1971年
  • 滋賀県が陳情書を中央政界等に送付。
  • 滋賀県企画部長他が文部省及び厚生省に設置を陳情。
1972年
  • 県知事他が、県選出の国会議員、自民党文教関係議員、文部省、厚生省等に陳情。
  • 県知事、県議会議長、大津市長他が県選出の国会議員、文教関係の国会議員並びに文部省関係者に陳情。
  • 期成会の役員が文部、厚生、大蔵の各大臣並びに自民党幹部、文教関係国会議員に陳情。
  • 県厚生部長他が自民党政調会医学教育プロジェクトチームに陳情。
  • 県知事他関係者が、文部、厚生、大蔵の各大臣、自民党政調会長、文教関係国会議員及び県選出国会議員に陳情。


奥野誠亮文部大臣(左)と野崎欣一郎知事(右)

1973年(昭和48年)

滋賀県厚生部に「国立滋賀医科大学設立準備室」を設置。

京都大学が準備校に決定(文部省が滋賀県に国立医科大学を創設するための創設準備事務を京都大学に委嘱)。

1974年(昭和49年)

「滋賀医科大学創設準備室」を京都大学に設置。

画像:「滋賀医科大学創設準備室」を京都大学に設置

よもやま話Side Story

滋賀医科大学創設準備室

 滋賀医科大学創設準備室は、京都大学が中心となり、京都府立医科大学、大阪大学、滋賀大学、岐阜大学の協力を得て、創設準備室長に脇坂行一京都大学教授(初代本学学長)、創設準備室付教授に中村恒男前京都府立医科大学長(初代本学医学部附属病院長)が任命され、事務職員は滋賀県及び京都大学からの派遣等により構成されました。
 京都大学正門を入って西側にある赤煉瓦の建物で本学の構想が練られ、教官選考などの準備が進められました。


創設準備室長
脇坂先生
(本学初代学長)

文部省関係者が建設予定地を実地調査。

画像:文部省関係者が建設予定地を実地調査

「滋賀医科大学設置計画書」を文部省に提出。

第2章
開学からの10年間

1974-1983

1974年(昭和49年)

滋賀医科大学開学(滋賀県守山市仮校舎)。

画像:滋賀医科大学開学(滋賀県守山市仮校舎)

よもやま話Side Story

開学時に唯一設置された学科目は?

 1974年10月の開学時に設置された唯一の学科目は「ドイツ語」です。その半年後の1975年4月には以下の8講座・9学科目を開設されました。

講座 解剖学第一、生理学第一、生化学第一、病理学第一、微生物学、内科学第一、外科学第一、小児科学
学科目 哲学、社会学、人文地理学、物理学、化学、生物学、数学、英語、保健体育
1975年(昭和50年)

第1回入学試験及び合格者発表を実施。

画像:第1回入学試験及び合格者発表を実施

第1回医学部医学科入学宣誓式の挙行。

画像:第1回医学部医学科入学宣誓式の挙行

しゃくなげ会の発足。

よもやま話Side Story

しゃくなげ会とは?

 「しゃくなげ会」は、篤志献体の団体で、会員の皆さまには、ご自身のご遺体を無条件・無報酬でご提供いただいております。これまでにご入会くださいました「しゃくなげ会」会員の皆さまは約4,000名に達します。
 会員の皆さまのご理解と全面的なご協力のおかげで、充実した解剖学の教育と研究を進めることができております。


解剖体慰霊碑(琵琶湖を見下ろす比叡山横川に1977年建立)

開学記念式典の挙行。

画像:開学記念式典の挙行

第1回解剖体慰霊式の挙行。

第1回若鮎祭(大学祭)を開催。

1976年(昭和51年)

附属病院創設準備室を設置(創設準備室長:中村恒男副学長)。

附属病院地鎮祭の実施。

画像:附属病院地鎮祭の実施(1) 画像:附属病院地鎮祭の実施(2)

本校舎(大津市瀬田月輪町)の一部完成により仮校舎から移転。

画像:本校舎(大津市瀬田月輪町)の一部完成により仮校舎から移転。

1978年(昭和53年)

第1回解剖体納骨慰霊法要の挙行。

滋賀医科大学施設竣工並びに医学部附属病院開院記念式典の挙行。

画像:滋賀医科大学施設竣工並びに医学部附属病院開院記念式典の挙行

滋賀医科大学医学部附属病院の開院。

画像:滋賀医科大学医学部附属病院の開院(1) 画像:滋賀医科大学医学部附属病院の開院(2)

よもやま話Side Story

初日の患者数は?

 滋賀医科大学医学部附属病院は、1978年10月1日に開院し、10月4日から外来診療のみで始動、入院受付は10月11日から開始しました。
 10月4日、診療初日の外来患者数は108名でした。現在では、1日の平均外来患者数は約1,200名(2020年度実績)にのぼります。

1978年外来初日:108名 → 現在(2020年度実績):約1,200名1978年外来初日:108名 → 現在(2020年度実績):約1,200名

1979年(昭和54年)

附属図書館の竣工並びに開館記念式典の挙行。

画像:附属図書館の竣工並びに開館記念式典の挙行

1980年(昭和55年)

ヒポクラテスの樹を植樹。

よもやま話Side Story

ヒポクラテスの樹

 この樹は大学正門から構内に入った芝生の丘にそびえています。中村恒男初代病院長が日本ヒポクラテス会から寄贈を受け植樹されたもので、中村病院長による説明が添えられています。

(ヒポクラテスの樹の銘文)
「このすずかけの樹は、1980年秋日本ヒポクラテス会のご好意により、コス島の親樹の実から仕立てた苗木として頒けられたものである。その樹の下でヒポクラテスが学生に医学や倫理を講じたと伝えられている。このヒポクラテスゆかりのすずかけの樹が医学生の医師になる熱意と倫理感の成長になんらかの影響を与えることを心から希うものである。」

1981年(昭和56年)

第1回医学部医学科卒業式の挙行。

画像:第1回医学部医学科卒業式の挙行

大学院医学研究科の設置。

第1回大学院医学研究科入学宣誓式の挙行。

画像:第1回大学院医学研究科入学宣誓式の挙行

よもやま話Side Story

陶壁「生命(いのち)」

 病院玄関を入ってすぐの正面に陶壁があります。陶壁には、中村恒男初代病院長の説明が添えられています。

(陶壁「生命(いのち)」の銘文より)
 病院の雰囲気を少しでも明るいものにしようと、玄関ホールに陶壁を設けることにしました。そして、それは地元の信楽で焼成したやきものでということになりました。
 信楽のやきものには、磁器のもつカラフルな美しさはありませんが、土と炎が織りなす神秘的な地肌の美しさと変化に富む火色の美しさがあります。太陽が放つ無限のエネルギー・・・ 人間が燃やし続ける生命の炎・・・ それらを郷土の土で表現できたらと思い、テーマを病院にふさわしく「生命(いのち)」として、信楽の若い陶工たちに陶壁の制作を依頼しました。そして完成したのがこの陶壁です。宇宙で燃えたぎる太陽エネルギーやあふれる人間の生命力が、ここに凝縮され力感あふれる作品となりました。
 この陶壁が病院を明るくし、人間の生命の神秘性、生きることの尊さと美しさ、そんなものを伝えてくれたらと願っています。


当時の様子

第3章
開学10周年から30周年へ

1984-2004

1984年(昭和59年)

開学10周年記念式典の挙行。

よもやま話Side Story

開学10周年記念樹を探せ!

 NCD疫学研究センター横(東側)の小道の脇に「開学10周年記念樹」があります。植樹されてから約40年間、滋賀医科大学の日常を見守ってくれています。
 樹木の種類は...不明です。わかる方がおられましたら、是非ご連絡ください。

1985年(昭和60年)

第1回大学院医学研究科学位授与式の挙行。

1988年(昭和63年)

医学部附属病院 開院10周年記念式典の挙行。

よもやま話Side Story

(看護臨床教育センター 准教授 多川晴美)

雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)

 当時の私は、集中治療部の看護師として勤務していました。当時、集中治療部は、手術部と一体運営になったばかりで、私は、ちょうどその頃に、4B病棟から異動してきました。
 御多分にもれず、当時の手術部と集中治療部の看護師間には見えない厚い壁がありました。手術室とICUのはざまで大変苦労したことを覚えています(涙々の数えきれないエピソードをご紹介できないのが残念です…)。
 この時期は、「雨垂れ石を穿つ」でしょうか、私にとってのよいトランジション(過渡期)となり、その後の転換期も乗り越えることができたと思います。


当時の
多川准教授

※雨垂れ石を穿つ・・・どんなに小さな力でも、根気よく続けていればいつか成果が得られるということのたとえ。

(看護臨床教育センター 准教授 多川晴美)

1992年(平成4年)

よもやま話Side Story

(IR室 准教授 森野勝太郎/医学科16期生)

ポプラ並木

 西門を入ったところにあるポプラ並木。秋になると毎年、目に飛び込んでくる鮮やかな色。朝日で紅色や黄色に輝いている姿を見ると、今日も1日頑張ろうと思えます。
 いつ頃からあるのかはわかりませんが、私が学生だった1990年頃にはすでにあったと思います。長きにわたり、多くの人の目にとまって癒しを与えてくれたのではないでしょうか。

(IR室 准教授 森野勝太郎/医学科16期生)


学生当時の
森野准教授

分子神経生物学研究センターの竣工。

画像:分子神経生物学研究センターの竣工

よもやま話Side Story

(研究・企画・国際担当理事/副学長 遠山育夫)

多様な若手研究者の集まる研究所

 現在の「神経難病研究センター」の前身である「分子神経生物学研究センター」は、滋賀医科大学では最初の附置研究所として1989年に設立され、1992年に建物が完成しました。
 私は、分子神経生物学研究センターの開設と同時に解剖学講座から、センターに助手として異動しました。建物ができたときは、とてもうれしくワクワクした気持ちを覚えています。
 センターには、本学卒業生はもちろんのこと、京都大学、京都府立医科大学、千葉大学、浜松医科大学、カナダ、中国など、国内外から若い研究者が集まり、多様な環境のもとで、活発に楽しく研究することができました。
 その後、留学生も多くなり、「センターに来ると外国に留学しているみたいだ」とよく言われました。この良き伝統が、現在の神経難病研究センターに引き継がれていることをうれしく思うとともに、今後も大切にしていただきたいと願っています。


当時の
遠山理事

(研究・企画・国際担当理事/副学長 遠山育夫)

1994年(平成6年)

国際交流会館の竣工。

画像:国際交流会館の竣工

医学部看護学科の設置。

画像:医学部看護学科の設置

第1回医学部看護学科入学宣誓式の挙行。

1995年(平成7年)

医学部附属病院 特定機能病院として承認。

1996年(平成8年)

看護学科校舎の竣工。

画像:看護学科校舎の竣工

よもやま話Side Story

(看護学科25期生 中村文音)

看護学科校舎6階から見える夕日

 看護学科校舎6階の東大津高校側の窓から撮影したものです。実習で遅くまで班のメンバーと残って記録をしているときに綺麗な夕日が見えて、元気をもらっていました。

(看護学科25期生 中村文音)


中村さん
(現在)


看護学科校舎6階の東大津高校側からの夕焼け

1998年(平成10年)

医学科推薦入試に「地域枠」を導入。

よもやま話Side Story

全国の国立大学で初めて「地域枠」導入

 滋賀医科大学では、開学以来、滋賀県の地域医療を支える医療人の育成に取り組んでいます。平成10年度に国立大学として初めて「地域枠」を導入しました。現在では、多くの大学で「地域枠」が導入されていますが、当時はまだ国立大学に「地域枠」を設けることに対して様々な意見等がありました。
 しかし、「地域枠」導入を機会に県内高等学校への訪問を強化し、本学が熱意を持って地域で活躍する医療人の育成に取り組んでいることを伝え、県内高等学校から優秀な学生が集まるようになり、段階的に地域枠定員を拡大しながら現在に至っています。

第1回医学部看護学科卒業式の挙行。

画像:第1回医学部看護学科卒業式の挙行

医学系研究科看護学専攻修士課程の設置。

医学系研究科看護学専攻修士課程の入学宣誓式の挙行。

画像:医学系研究科看護学専攻修士課程の入学宣誓式の挙行

よもやま話Side Story

(看護学科 講師 山下 敬/看護学科5期生)

オムライス

 瀬田駅から少し歩いたところにあるオムライスが人気のお店。高校時代、そして、私が看護学科の学生だった1998年頃から現在に至るまで、何度行ったことか…。以前は席も少ない小さなお店でしたが、移転されて今の場所に。
 部活の新歓、実習の打ち上げ、男性看護師会、忘年会、同窓会など、ことあるごとに集まっていたように思います。卒業後も家族で時々テイクアウトしています。近くに寄ったときは、無性に食べたくなります。


学生当時の
山下講師

(看護学科 講師 山下 敬/看護学科5期生)

1999年(平成11年)

コラボレーションセンター(附属図書館、マルチメディアセンター)の竣工。

画像:コラボレーションセンター(附属図書館、マルチメディアセンター)の竣工

よもやま話Side Story

(医学科6年 北川実侑)

隠れフォトスポット

 ある秋の晴れた日、マルチメディアセンターの1番奥の演習室からふと窓の外を覗いてみると…真っ赤に紅葉した、美しい木を見つけました。図書館の横を通り過ぎ、NCD疫学研究センターの入り口横の通路を歩いていくと、その紅葉が見える場所にたどり着きます。小さな池と紅葉のコラボレーション。大学を探索しなければ見つからない、ちょっとしたフォトスポットになるかもしれません。映え写真が撮れるかも…!

(医学科6年 北川実侑)


現在の様子

医学部附属病院 IVMR棟施設の竣工。

2000年(平成12年)

第1回大学院医学系研究科修士課程看護学専攻学位授与式の挙行。

2003年(平成15年)

動物生命科学研究センター棟の竣工。

画像:動物生命科学研究センター棟の竣工

NMR研究実験棟の竣工。

画像:NMR研究実験棟の竣工

2004年(平成16年)

医学部附属病院 日本病院機能評価認定を取得。

第4章
開学30周年から現在(国立大学法人化)

2004-

2004年(平成16年)

国立大学法人法の施行に伴い、国立大学法人滋賀医科大学が設立。

開学30周年記念式典を開催。

画像:開学30周年記念式典を開催

2006年(平成18年)

バイオメディカル・イノベーションセンターの設置。

画像:バイオメディカル・イノベーションセンターの設置

2007年(平成19年)

地域「里親」による学生支援プログラムが文部科学省「学生支援GP」に採択。

よもやま話Side Story

地域「里親」による学生支援プログラム

 平成19年度から文部科学省GPの補助を得て、地域「里親」による学生支援プログラムを開始しました。これは、本学卒業生や地域の方々が里親やプチ里親となって、学生の進路等の相談に対応するなどの支援や交流を行い、学生に滋賀県の文化・歴史や医療事情等を知る機会をつくり、卒業後は県内で医療人となり地域医療に貢献しようという思いを育む取り組みで、文部科学省の補助金修了後も大学独自の事業として継続しており、2011年にはNPO法人滋賀医療人育成協力機構が設立され、現在も様々な取組を行っています。

滋賀医科大学保育所の設置。

画像:滋賀医科大学保育所の設置

医学部附属病院 新病棟(D病棟)の竣工。

画像:医学部附属病院 新病棟(D病棟)の竣工

2008年(平成20年)

医学部附属病院 開院30周年式典の挙行。

画像:医学部附属病院 開院30周年式典の挙行

画像:医学部附属病院 開院30周年祝賀会

2009年(平成21年)

クリエイティブモチベーションセンターの竣工。

画像:クリエイティブモチベーションセンターの竣工

2010年(平成22年)

「滋賀県地域医療再生計画」に基づき、滋賀県、東近江市、(独)国立病院機構(NHO)と協定を締結し、寄附講座「総合内科学講座」及び「総合外科学講座」をNHO滋賀病院(現NHO東近江総合医療センター)に設置。
(※「総合内科学講座」及び「総合外科学講座」は、2014年(平成26年)から本学講座に移行。)

画像:寄附講座の設置に関する協定

2011年(平成23年)

よもやま話Side Story

(医学・看護学教育センター教授 向所賢一/医学科14期生)

目指すは世界 滋賀医大発

 私が病理学講座に所属していた頃、当時のボスの服部隆則先生(現名誉教授)の“口癖?”が、「賢(=賢一)、世界や、世界と勝負するんや!!」でした。
 2011年7月の雨上がり、管理棟の上に大きな虹がかかりました。急いで撮影に行き、この写真を見て服部先生と一緒に一句考えました。

「虹色の 個性輝く 未来人
目指すは世界 滋賀医大発」。

この写真をスライドにし、時々、学生を鼓舞しています。


当時の
向所教授

(医学・看護学教育センター教授 向所賢一/医学科14期生)

敷地内全面禁煙・禁煙宣言。

画像:敷地内全面禁煙・禁煙宣言

よもやま話Side Story

(患者支援センター副看護師長 小池ゆかり/看護学科12期生)

時代は変わり、時は経ち

 私が学生だった2005年頃は、大学の敷地にはあちこちに喫煙所がありました。授業の合間やお昼ごはんの後には、人々が自然と集まる場所となっていました。特に、試験期間や国家試験の前には、昼夜を問わず、試験勉強の息抜きをする学生の姿が印象的でした。
 現在、滋賀医科大学では、大学・病院ともに、敷地内全面禁煙です。今では、綺麗になった校舎のソファやベンチが学生たちの憩いの場になっています。


学生当時の
小池副師長

(患者支援センター副看護師長 小池ゆかり/看護学科12期生)

2012年(平成24年)

医学部附属病院 病院再開発記念式典の挙行。

画像:医学部附属病院 病院再開発記念式典の挙行

2013年(平成25年)

アジア疫学研究センター(現 NCD疫学研究センター)の竣工。

画像:アジア疫学研究センター(現 NCD疫学研究センター)の竣工

2014年(平成26年)

医学部附属病院 ヘリポートの竣工。

画像:医学部附属病院 ヘリポートの竣工

スキルズラボ棟の竣工。

画像:スキルズラボ棟の竣工

地域医療教育研究拠点の設置。

よもやま話Side Story

地域医療教育研究拠点
図:地域医療教育研究拠点

 平成22年、「滋賀県地域医療再生計画」に基づき、滋賀県、東近江市、(独)国立病院機構(NHO)と協定を締結し、NHO滋賀病院(現NHO東近江総合医療センター)に寄附講座を設置し、地域医療の再生に向けた教育・研究・診療活動を推進してきました。協定期間終了後は、平成26年にNHO及び東近江市と、平成27年に(独)地域医療機能推進機構(JCHO)と、令和2年に公立甲賀病院組合と「地域医療教育研究拠点に関する協定」をそれぞれ締結し、NHO東近江総合医療センター、JCHO滋賀病院、公立甲賀病院の3ヶ所に活動拠点を設け、医師派遣による地域医療支援や地域医療を担える医師養成等に取り組んでいます。

図:地域医療教育研究拠点

2016年(平成28年)

看護師特定行為研修を開始。

よもやま話Side Story

全国の国立大学初の看護師特定行為研修指定機関

 特定行為とは、実践的な理解力や判断能力のほか、高度な専門知識や技術をもって行う診療補助のことです。医師があらかじめ作成する「手順書」という包括的指示のもと看護師が実践します。特定行為は、21区分38行為で構成されています。
 2016年2月に、国立大学として初めて「保健師看護師法に基づく特定行為研修」の指定研修機関として指定を受けました。
 開講当時は、3区分6行為でスタートしましたが、現在では、21区分38行為すべての研修を実施しています。また、多彩なコースを用意しており、特定行為研修センターを入り口とした研修、大学院修士課程を入り口とした研修があります。また、共通科目等においてeラーニングを取り入れており、仕事と両立しやすいカリキュラムとなっています。

女性医師支援のためのスキルズアッププログラムの設立。

よもやま話Side Story

内閣府「女性のチャレンジ賞特別部門賞」を受賞

 滋賀医科大学では、女性医師のキャリア継続、現場復帰を支援するために、一人ひとりの悩みに合わせた支援「女性医師のためのスキルズアッププログラム」を実施しています。
 これらの取組が評価され、平成29年度「女性のチャレンジ賞特別部門賞」を受賞しました。


加藤内閣府特命大臣(左)と本学の尾松学長補佐(右)
2017年(平成29年)

医学部附属病院敷地内にリップルテラスをオープン。

よもやま話Side Story

全国の国立大学で初めて民間資金を活用してアメニティ施設を整備

 リップルテラスは、病院利用者へのサービス向上及び大学関係者の福利厚生の充実を目的としてオープンしたもので、1階に院外薬局2店舗とコンビニエンスストア、2階・3階には大学活用スペースとして会議室、多目的室、講義室等を設置しています。
 民間事業者の資金によって建物を整備、本学は民間事業者へ土地を有償貸与することで、費用負担なく施設整備を行うという手法で、この整備手法によるアメニティ施設整備は、全国の国立大学で初めてのケースとなりました。本事業がモデルケースとなり、同様の動きが全国に波及しました。

2020年(令和2年)

新型コロナウイルス感染拡大にともない、対面授業を基本としつつ、リアルタイム及びオンデマンドの遠隔授業を併用したハイフレックス型授業を導入。

よもやま話Side Story

(医学科6年 北川実侑)

コロナ禍での変化

 コロナ禍になり食堂の様子もガラッと変わりました。テーブルごとに置かれた仕切り、一席置きに貼られたバツ印、すべての席で見られる「黙食」の文字。このような状況になり、改めて誰かと一緒に食事をとることの喜びを感じている方もいるのではないでしょうか。早く、元気な声が飛び交う、にぎやかな明るい食堂に戻ることを願っています。

(医学科6年 北川実侑)

北川さん
(現在)

2021年(令和3年)

学生ラウンジを設置。

画像:学生ラウンジを設置

※2022年5月時点

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