臨床医学講座
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昭和51年4月1日より吉田吉信初代教授、笠井寛司助教授、青地秀樹助手の3人が大津赤十字病院内に置かれた医大附属病院創設準備室の業務に加わり、同年5月10日に産科学婦人科学講座は開講した。以来、本講座の教授は、吉田吉信(〜平成4年3月)、野田洋一(平成5年2月〜平成20年3月)、村上節(平成20年12月〜)が務めている。
令和5年までの全入局者数は156名を数える中、これまで講師を務めたのは、大島正義、石黒達也、青地秀樹、竹中章、高倉賢二、廣瀬雅哉、木村俊雄、竹林浩一、喜多伸幸、木村文則、辻俊一郎、笠原恭子、天野創の13名、助教授(平成19年より准教授)は、笠井寛司、高倉賢二、髙橋健太郎、喜多伸幸、木村文則、辻俊一郎の6名である。このうち、髙橋健太郎は、平成19年9月に滋賀県の寄付講座である地域医療システム学講座の特任教授に就任した。また、平成29年5月、本学7期生の喜多伸幸が滋賀医科大学医学部看護学科教授に就任。令和3年9月には13期生の木村文則が奈良県立医科大学産科学婦人科学講座教授に選ばれ、本講座から初の他大学教授が誕生した。
本講座の同門会は、吉田教授が退官する1年前の平成3年2月15日に発足、野田教授の着任を待って平成5年に湖翔会と命名された。第1号から同門会誌の表紙を飾る湖翔会の文字は、本学3代目の岡田慶夫学長の筆によるものである。
湖翔会会誌第1号
医局は現在も臨床研究棟の4階西側寄りに位置している。老朽化に伴う改修工事は、予算凍結などで1年遅れたが、令和元年10月に半年に及ぶ看護棟6階ならびにD病棟1階からの出戻り引っ越しを終え、教授室、准教授室、講師室2室、助教室、医員室、医局と秘書室及び1部屋3区画からなる研究室に生まれ変わっている。
初代吉田教授は、形態学を中心に据え、婦人科悪性腫瘍の診断に関して週2回の病理回診で教室員を指導するとともに、当時黎明期であった滋賀県における子宮頸がん細胞診検査の確立に尽力した。また、電子顕微鏡を駆使した胎盤栄養膜細胞の増殖・分化の研究に勤しみ、昭和61年10月に第18回日本臨床電子顕微鏡学会を主宰し、定年退官後は野洲病院院長を経てメディック病理細胞診センターの所長を務めた。
第2代野田教授は生殖生物学を専門とし、本学着任後、私財をなげうち実験機器を取りそろえ、発生学研究室を起ち上げた。和久田陽香氏の揮毫による発生生物学研究室という看板は、現在も教授室の扉に下げられている。臨床においても平成8年に体外受精胚移植を導入し、平成16年5月に第45回日本哺乳動物卵子学会をピアザ淡海で開催した。また、野田教授は退官後、滋賀県産科婦人科医会の会長を2期4年務めており、平成21年3月には第7回日本予防医学リスクマネージメント学会も主宰している。
因みに、滋賀県産科婦人科医会の会長は、野田会長の2年後から2期4年を髙橋健太郎、次いで本学2期生で湖翔会理事長の野村哲哉が務めて現在に至っている。
3代目の村上教授は、生殖および内視鏡医学の立場から、内視鏡手術・ロボット手術を奨励し、日本産科婦人科学会の委員会研究を端緒に帝王切開後に生じる後遺症の存在を世に広めた。また、令和3年に第24回IVF学会、令和4年に第63回日本卵子学会、令和5年に第63回日本産科婦人科内視鏡学会、第28回日本生殖内分泌学会を主宰し、当講座の存在感を世に示した。
SHIGA UNIVERSITY OF MEDICAL SCIENCE 50th Anniversary