Congratulatory Message

お祝いのメッセージ

滋賀医科大学の卒業生や関係各所から50周年を迎えお祝いメッセージをいただいております。

卒業生・その他

医学科10期生

松下 亮二

開学50周年を迎えるにあたり 若鮎祭との再会

2023年10月29日(日)、第49回若鮎祭2日目のSUMSホームカミングデーに参加させていただきました。23年ぶりの母校訪問でした。福利棟から学生さんの案内で一般教養棟、基礎研究棟、臨床研究棟、附属病院等を見学させていただきました。廊下の様子が変わり、建物間にはICカードによる入退出システムも設置されており記憶とはかなり違っていました。開催者の皆様に感謝します。その後、開催中の若鮎祭を散策しました。池の水はなくなっていましたが、水上ステージ、記憶に残っている各団体による模擬店のテントや懐かしい看板も見つけました。若鮎祭は1987年、大学4回生時に実行委員(広報担当)として参加しました。若鮎祭パンフレットとトレーナーの制作も行いました。当時の若鮎祭実行委員長の八十島先生、実行委員の難波江先生、その他の皆様にも大変お世話になりました。若鮎祭当日は、各模擬店営業時間終了後も関係者がテント内に集い、特に柔道部のおでん三四郎では深夜まで部員やOBの先生方との交流がありました。

大学卒業後に現在の初期研修制度はなく、すぐに滋賀医大放射線科に入局して2年間大学病院研修医勤務、関連病院勤務、大学院進学となりました。40代半ばで京都大学放射線診断科医局に移籍し、現在は遠隔画像診断センター勤務、民間病院非常勤医師、自宅での遠隔画像診断事業、企業健診を並行で行っています。

放射線科診断医で33年経過しましたが、研修医と現在では業務内容が激変しました。胃透視等の検査は放射線科医が実施しなくなりました。造影剤注射は看護師が行い、CTやMRI等の画像はフイルムではなく読影ワークステーションの液晶画面で診断します。放射線治療患者の主治医や病院内科当直医になることもありません。

研修医時代には指示通りに業務をこなしていましたが、激変する放射線診断科業務環境では次々に新しい知識やスキルが必要となり、自己学習が日常となっています。また、病院勤務医の立場も経済面では開業医との格差が目立ちます。男女ともに平等な家事および育児参加が求められる社会変革も進行していますので収入面や休日の取得を含め病院勤務医の立場を変革する必要があるように思います。
特に今後の業務内容や社会変化を念頭に置いて知識獲得、スキル獲得、過去の振り返り、未来の業務計画を行うことが重要ではないかと思います。若い先生方にも上司や先輩に影響されるよりも自主性、ワークライフバランスを尊重して頂きたいと考えます。

放射線診断とAIについては、MRA脳動脈瘤検出や肺結節検出などは既に実用化されています。また、ChatGPTなどの文書生成系AIに電子カルテを夜間に学習させて放射線診断レポートが主治医に伝わっているかどうかの確認、画像診断と治療内容に矛盾がないか、必要な画像診断検査を主治医にアドバイスできるコンシェルジェのような役割を期待します。

卒業生・その他

独立行政法人 国立病院機構
紫香楽病院 病院長
医学科15期生学年幹事

真田 充

15期生同期会

『平成18年2月18日、卒後10年同期会当日。私は集合時間の1時間前に会場に入ったのですが、既に受付前で数名が談笑していました。久しぶりに見る同級生は、意外にも殆ど変わっていない面々ばかりで、「誰だったかな?」などと思うことは全くありませんでした。皆も再会を喜び、受付前のあちこちで、立ち話・・・まさに廊下を埋め尽くす勢いでした。集合写真撮影後、同期会開始。恒例の入学時と卒業時の写真スライドをバックに近況報告する時は、時に悲鳴のような声も聞かれ、会の雰囲気は最高潮でした。』

『平成28年2月13日、卒後20年同期会が前回と同じ琵琶湖ホテルで開催されました。会の雰囲気は卒後10年同期会と全く同じで、10年前にタイムスリップした時間でした。10年前と異なるのは近況報告の際、参加者の様々な歩みが報告され、「卒後20年」を実感した時間でもありました。卒後20年同期会は各人が多忙な時期となるため、最も参加人数が少なくなる会とのことですが、最終的に前回とほぼ同様の47名に参加頂き、盛況のうちに同期会は終了致しました。』

以上の文章は卒後10年目および20年目同期会開催後に記載した湖都通信への投稿文から抜粋したものです。同期会は10年毎に開催され、同級生が一同に会する唯一と言っていい機会ですが、卒後何年経ってもすぐに学生時代に戻ることが出来、滋賀医科大学で過ごした懐かしい日々を皆で共有できる素晴らしい「集まり」です。令和6年10月に滋賀医科大学は開学50周年を迎えるとのことですが、我々15期生も入学35周年を迎えることになります。令和7年には30年目同期会が開催される予定ですが、その時は「滋賀医科大学の歩み」を含めた会を企画したいと考えています。卒後30年目同期会、今からその日が楽しみです。

15期生卒後20年目同期会の様子

卒業生・その他

看護19期生

野津 瑛未奈

開学50周年、誠におめでとうございます。

滋賀医科大学では、自由に学びを深める環境に恵まれたことに今でも感謝しております。
特に、私は看護学科に入学しましたが、解剖学講座においても大変お世話になりました。「講義を受けた後が本当の勉強のはじまりである」という旨の当時の学長からの御言葉を胸に、「教えていただいたことから何を考え学ぶかは自分次第」という思いで、4年間、医学科、看護学科の垣根を越えて積極的に学ばせて頂くことができました。先生方、先輩方には、講義や実習以外においても学びを深める機会をたくさん設けていただき、ありがたく思っております。研究室や図書館にて、夜を徹して勉強させて頂けたことは今でもかけがえのない思い出です。再受験生も多い滋賀医科大学では、様々な経歴の方々に出会う中で、広い視野で多くを学ばせて頂くことができました。充実した大学生活を送らせていただけたことに、改めて感謝を申し上げます。微力ながら、医療現場において一人でも多くの患者様の一助となれますよう、今後も日々精進いたしたいと思っております。

開学以来の多くの先生方、関係者の皆様の並々ならぬご尽力に敬意を表すと共に、今後益々の御発展を心よりお祈り申し上げます。

卒業生・その他

医科3期生

若林 賢彦

高い壁

2023年10月に滋賀医大12期生の影山進先生が、滋賀医大泌尿器科学講座の第4代教授に就任されました。滋賀医大の1期生が泌尿器科に入局したのが1981年で、それから42年後にやっと当教室の同門会「湖水会」より教授が誕生しました。われわれの悲願が達成され大いに喜びました。

滋賀医大の泌尿器科は当初京都大学の協力のもとに設立され、私は1983年に入局しました。その後、研修等では京大から来られていたスタッフの先生方に大変お世話になりました。研修1年で福井県の病院へ1人医長で派遣されるという恐ろしい時代でした。そして滋賀医大に戻り助手となり、研究は前田敏博教授がおられた第1解剖学教室で始めました。運良くカナダにも2年間留学できました。それから公立高島病院(現高島市民病院)に赴任し1999年講師として滋賀医大に戻りました。当時は教授、助教授は京大から来るもの、滋賀医大卒の医師が助教授になるという事はまず無理という感覚でした。それほど京大の影響力が強く、とても高い壁でした。私は2005年に近江八幡市内で主に人工透析を行う診療所を開設しました。

その後ようやく2013年に京都府立医大出身の河内明宏先生が第3代教授に就任され、滋賀医大9期生の成田充弘先生が同門会より初めて准教授になりました。この時もわれわれは大いに喜んだものです。今回、河内前教授の大きな後押しもあり、同門会より初めて教授が誕生しました。20年前の状況を考えると、信じられない気持ちです。教室の若い先生たちも影山先生のもとで、のびのびと良い仕事を続けてほしいものです。

卒業生・その他

看護13期生

大西 愛美

滋賀医科大学開学50周年誠におめでとうございます。

早いもので、私たち看護学科13期生が卒業後、10年以上が経ちました。

ここ数年はコロナ禍にあり、同期の友人と頻繁に会うことは叶わなかったのですが、この度開学50周年の記念誌作成を機に久しぶりに連絡をとり、在学時の思い出やお互いの近況について話すことができました。

 

専門看護師として邁進中!

大学時代に先生から教えていただき、“なれたらいいな”と思い描いていた急性・重症患者看護専門看護師になり、5年が経ちました。現在は高度急性期にある患者さんの生活・人生を守り支えるために、高度救命救急センターでの看護実践、院内全体の教育やシステムの向上に取り組んでいます。今後の展望として、地元大津・滋賀の地域医療に自身の専門性・立場から貢献することができたらと考えています。キャリアを積んでも、滋賀医大で学び育んだ初心を忘れずに、日々精進したいと思います。(嶋田安希)

 

エステサロン開業!

大学病院で勤務した後に美容クリニックに8年勤めて、その時の経験を活かしてエステサロンを開業しました。今は家族との時間も大切にしながらサロンオーナー兼看護師として楽しく働いています!

 

新たな分野に挑戦!

卒業後、大学病院で勤務し、出産を期に退職。しばらく子育てに専念して過ごしていました。子供が小学生になり、そろそろ社会に出たいなと思った矢先にコロナ禍。今の自分に一体何が出来るのか思い悩んでいたのですが、今年から看護師として小児科クリニックで勤務しています。初めての小児科、久しぶりの医療等々、知識、技術など多くのことを学び直しの日々ですが、子供達に囲まれ、忙しくも楽しく過ごしています。(狭川恵理翔)

 

卓球部での思い出

滋賀医科大学は部活やサークルの活動が盛んで、単科大学ということもあり、どの部活もアットホームで仲が良い印象でした。私は卓球部に所属して、週に3回大学の体育館で練習し、年に数回は他府県に遠征にも行き、充実した時間を過ごすことができました。卒業後も卓球部のメンバーとは時々会ってお互いに近況を報告しあっています。部活動を通して素晴らしい友人に恵まれたことを感謝しています。(大西愛美)

 

滋賀医大で苦楽を共にしながら大切な時間を過ごした仲間は、現在さまざまな形で活躍していることが確認できました。

在学生・卒業生・関係者の皆様の益々のご健勝・ご活躍、滋賀医科大学のさらなる発展を願い、お祝いのメッセージとさせていただきます。

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