Congratulatory Message

お祝いのメッセージ

滋賀医科大学の卒業生や関係各所から50周年を迎えお祝いメッセージをいただいております。

滋賀医科大学 名誉教授

一般財団法人滋賀保健研究センター診療所長、滋賀医科大学名誉教授

安田 斎

滋賀医科大学開学50周年に寄せて

滋賀医科大学開学50周年おめでとうございます。私は1978年10月1日の附属病院開院から第三内科(のち内科学講座)に27年間(留学2年間)、看護学科に9年間在籍しました。もうすぐ後期高齢者で物忘れが酷いですが、開院時の出来事は途切れ途切れですが懐かしく思い出します。瀬田駅から現在の龍谷大学に向かう真っすぐな登り坂を直角に曲がって滋賀医大に向かう一本道は舗装されておらず、雨の日はぬかるんで車が酷く汚れました。雪の日はバスが立ち往生したものです。

開院の頃、現在のように大学病院受診のハードルは高くなく、自宅から最も近い医療機関が滋賀医大という理由で風邪や腹痛で気軽に紹介状なしで受診できた時代でした。患者さんとの距離も近く、医師としてそれなりに尊敬される存在であったように思います。ただ、医療に関する一般の知識は現在ほど深くなく、動脈硬化と神経障害が高度な閉塞性動脈硬化症を患う糖尿病患者さんに、「血糖コントロールを改善しないと、足の指が腐って落ちますよ」と注意指導した際に、「また生えてくるから大丈夫」と返されたのには参りました。患者教育の重要性を痛感した次第です。

50年前の臨床医学は現在と比べると黎明期そのもので、現在の診療に必須のMRIは未開発で、CTも多くの施設では設置されておらず、使用可能なCTは解像力が悪く診断能力は低かったです。脳血管障害の診断は発症パターンと神経学的所見で実施され、出血と梗塞の鑑別は厳密には困難でした。滋賀医大病院でもCTは未設置で、当時、私自身が内科学会地方会で神経疾患の症例を発表した際、フロアーからCT所見は如何でしたかと質問され、CTによる撮像は必要ないと思われるものの、病院にCTがないと答えるのも気恥ずかしく返答に窮したことがありました。その際、最前列に初代学長の故脇坂行一先生が出席されていました。

先日、テレビで画像の遠隔読影システムや病院内の院内ネットワークの活用による効率的な病院運営など、医療の最新情報が紹介されていました。当時の医療環境とは別次元で、50年という歳月を感じました。今後、滋賀医科大学におかれましては、地域医療の中核としての責務を担って、理念である全人的医療を実践すると共に、先進的な医学研究・臨床応用を探究しつつ永続発展されますことを心から祈念しております。

滋賀医科大学 名誉教授

松末 吉隆

画像:松末 吉隆

滋賀医大への期待 ―病院長時代を振り返って―

私は、2001年3月に滋賀医大に赴任し、13年間整形外科学講座の教授を務めた後、6年間医療等担当理事として主に医学部附属病院病院長として病院の運営に関わらせていただきました。後半の病院長時代に取り組んだ課題を振り返って滋賀医大に期待することを述べさせて頂きます。

国立大学法人化後に森田、柏木両病院長の下、病院管理運営機構の改革、診療体制と診療支援体制の改革が行われ、病院再開発が完成し病院収入が大幅に増加しました。私は、滋賀医大40周年の節目の年に第7代病院長に就任し、経営改善を続ける中で、特に注力して取り組んだ課題を述べます。

大学病院には、人材の育成と高度な医療の提供という2つの大きな役割があります。高度医療を提供する中で若い人材を教育する大学病院にとって「患者安全」は最重要課題で、医療安全文化を一層深化させ、高い「医療の質」を目指さなければなりません。医療安全管理部に専任の教授を配置し機能強化を図りました。病院機能評価で高い評価を受けた「チーム医療」においては、「チーム医療総括委員会」を設けて業務の透明性を高め相互連携を推進しました。本学の最も重要なミッションである教育(医療人の育成)においては、卒前卒後のシームレスな医学教育体制の充実のために、主要な臨床教育施設が必要です。「地域医療教育研究拠点」の活動拠点(東近江医療センター、JCHO滋賀病院、公立甲賀病院)に滋賀医大卒の病院長を置いて、滋賀医大をハブとする連携体制を構築しました。卒後教育の充実のために医師臨床教育センターの人員の増加と専任の教授職の配置を図りました。また看護師特定行為については本邦でも先駆的に取り組んでいて、看護師特定行為研修センターは、看護師の資質向上と医師の働き方改革をマッチさせる我が国における先進的モデルとしての役割が期待されています。地域医療連携体制については、「滋賀医科大学地域医療支援連絡協議会」を設置しましたが、県内の広域の関連病院との連携を更に密にして次世代に向けて新たな連携体制の構築を目指して下さい。地域における教育・研究の中核として滋賀医大が県内を束ねその存在感を一層大きくして頂きたい。

開学当初から大学を牽引してきた卒業生の甚大な努力により築かれた現在の滋賀医大の確固たる地位を、さらに発展させていくためには、次世代の若い優秀な人材を育成しなければなりません。卒前卒後教育を充実させ、国内外の一流施設に留学させ、世界的に通用する優れた医療人を育てて下さい。

創立50周年を迎えた滋賀医科大学はまだ壮年期であり、発展して行かなければなりません。今後、創立60周年、さらに80年と滋賀医科大学が発展し、ますます繁栄することを楽しみにしています。

滋賀医科大学 名誉教授

森川 茂廣

MINCSとオープンMR

開学50周年おめでとうございます。私は1989年から27年間にわたり本学に在籍いたしました。この間の最も大きな思い出は、1999年に導入されたMINCS (Medical Information Network by Communications Satellite)とオープンMRという2つの大型プロジェクトにかかわらせていただいたことです。

MINCSは、衛星通信を用いたハイビジョン映像によって病院間で医療情報を交換するシステムで、全国30の国立大学病院に導入され、各大学で独自の番組を制作して、放送されていました。病院内に設置されたパラボラアンテナからテレビの信号を通信衛星に打ち上げるためには、陸上無線技術士という国家資格を持つ担当者が複数名必要だということで、当時の犬伏教授と私が慣れない無線技術と法律の受験勉強をして何とか免許をいただき、開局にこぎつけました。

オープンMR装置は、ドーナツ型のマグネットを縦に2個並べたユニークなデザインのGE社SIGNA SPで、軟部組織コントラストに優れ、放射線被ばくがなく、撮像面を自由に設定できるリアルタイムMR画像をモニターしながら手術を行える画期的な装置です。全世界で12番目、アジア地域では第1号機が本学に導入され、外科医でMRの研究をしていた私が、導入準備段階から関わらせていただくことになりました。欧米では脳神経外科を中心に運用されていましたが、国内ではMR装置の中での手術は誰も経験したことがなく、MRに適合する手術器具、手術手技を求めて情報収集と独自の技術開発に奔走しました。中でも日本で開発されたマイクロ波凝固手術装置はMR画像へのノイズが少なく相性が良いことから、電極を改造し、外科の先生方と実験用のMR装置で臨床応用に向けた検討を開始しました。そして、2000年1月にMRガイド下肝腫瘍マイクロ波凝固治療の臨床応用を開始し、2例目の1月25日には、本学からのMINCSの開局記念番組として全国の大学病院にこの治療手技を放送しました。その後、本治療の適用拡大と安全性向上のため、側方からの穿刺を可能とする撮像面コントローラー、胸腔鏡、腹腔鏡として使用できるMR対応内視鏡システム、MR装置と連動するナビゲーションソフト、非磁性超音波モーターを使った標的自動追尾穿刺支援ロボットなど次々と独自の開発を臨床に応用し、国外からも高い評価をいただきました。また外科以外でも、脳神経外科、整形外科、耳鼻咽喉科領域の多様な手術が行われ、そのほとんどすべての手術に立ち会い、お手伝いをさせていただきました。今振り返ると、本当にワクワクする充実した毎日で、このようなプロジェクトに参加する機会をいただいたことに感謝するばかりです。これからも本学発のユニークな研究成果が発信されることを切に祈っております。

オープンMR

MINCS

滋賀医科大学 名誉教授

宝塚医療大学

野坂 修一

画像:野坂 修一

開学50周年への感想

滋賀医科大学には麻酔学講座の助教授、教授、定年後は非常勤講師として長年、お世話になりました。私の在職中での思い出としては、全国的な麻酔科医不足の時期です。責任者として、危機感がありました。この時期を乗り越えられたのは、病院長の助言でした。麻酔科のスタッフの増枠、外部の大学からの麻酔科医の採用などで、乗り切ることができました。今、振りかえますと、人の力、多様性が多いに貢献したと思います。これにより麻酔科医の大学院へのコースが定着しました。本当にありがたいことです。

滋賀医科大学退職後は2,3年後に宝塚医療大学に異動し現在在職しています。この時にコロナ禍がありました。このコロナ禍でも滋賀医科大学、病院でのコロナ感染症の対策は多いに役立ちました。宝塚医療大学本部は兵庫県宝塚市にあり附属の治療院を併設しています。健康管理室長としてこのコロナ感染症の感染対策を作成にあたり、滋賀医科大学、病院の感染対策は、より具体的で多いに参考になりました。勿論、文部科学省、兵庫県からの情報もありましたが、現実では滋賀医科大学、病院の感染対策が、有益で、情報量でも多く、その時期、時期での変更もあり役立ちました。そのおかげで宝塚医療大学として大きな感染の発生もなく防御できたと思っています。このことは感染症でのワクチン対策でも多いに役立ちました。宝塚医療大学生の病院、医院での臨床実習でも役立ちました。滋賀医科大学附属病院の感染対策が、実習生の教育に役立ちました。これらのことで宝塚医療大学の医療的レベルも向上できると考えています。

最後に、講座の教授として、講義(医学生、看護学生)、国家試験対策での多くの情報、対策がここ宝塚で役立っています。宝塚医療大学での学科での国家試験合格率は医学部より低く、より上げるのが重要で毎年課題になっています。

今年の3月でもって臨床面では滋賀医科大学附属病院の勤務を辞退させて頂きましたが、外部から見ても、大変有難い存在ですので、今後50周年後もこの存在感を期待しています。

滋賀医科大学 名誉教授

滋賀医科大学名誉教授(生化学)

堀池 喜八郎

思い出すことはただ“感謝”のみ

1.私は、2003 (平成15)年6月から2009 (平成21)年3月までの間、実験実習支援センター長(旧 実験実習機器センター長)であった。

その業務関係で印象に残っていることは、『CRLニュース』の創刊、大学の法人化、実験センターとRIセンターの統合、そしてなんといっても『犬伏研究室の大移動』である。将来的なセンター面積の縮小や再編を鑑み「センター」を2階と3階に集中して管理や実験・研究の効率化を図るべく、当時2階にあった犬伏教授の研究室を1階に移動していただいた。
移動のお願いを初めて伝えにいったときの犬伏先生のお顔が今も忘れられない。先生にとっては青天の霹靂であったにもかかわらず、気持ちよく提案を受け入れて下さった。感謝しかない。本当にありがとうございました。

 

2.2005(H17)年3月25日、医学科25期生の謝恩会で、私は『最優秀教官賞』(基礎医学部門)をいただいた。(当時はまだ「教員」ではなく「教官」であった)

生化学の一連の講義終了直後の授業評価アンケートでは毎年きびしい意見が多く、いい評価ではなかった。しかし4年後の卒業時での振り返りでは高く評価され、うれしかった。
毎年何人かの学生から「堀池先生の講義資料は研修先にも持っていって勉強します」「先生の配付資料はずっと持っています」などとよく言われていたが、『賞』は想像の域を遙かにこえたサプライズであった。思わず涙がこぼれてしまった。
いただいたトロフィーは書斎に飾ってある。私の宝ものである。学生諸君、ありがとう。

 

3.私は、2010 (H22)4月から2013 (H25)3月までの間、附属図書館長であった。

図書館の職員の皆さんが、私の定年退職を記念して、私が学生に薦める図書の展示『堀池喜八郎の本棚』を開催してくださった。(「堀池喜八郎の本棚」の本のリストはネット検索すれば今も見ることができる)
推薦本26冊の紹介文をまとめた小冊子も作ってくださった。この冊子は大好評で、作っても作っても、すぐはけていき、補充が大変であったとのこと。
図書館長に対するこのような企画は前代未聞のことで、感激した。深く感謝します。

 

4.大学の宝は学生である。このことを肝に銘じて、これからもことにあたっていただきたいと思う。 滋賀医大、弥栄(いやさか)!

Topics お知らせ

一覧を見る

SHIGA UNIVERSITY OF MEDICAL SCIENCE 50th Anniversary