開学50周年を迎える滋賀医大へのオマージュ
滋賀医科大学が開学50周年を迎えるにあたり、心よりお慶び申しあげます。おめでとうございます!
1974年(昭和49年)まで県内に医師を養成する大学のなかった滋賀県に、政府の一県一医大構想に基づいて滋賀医科大学が創立され、それから50年の歳月が流れた今日、その大学が県下の医療リーダーとして多数の人材を輩出するまでに至ったことは歓喜に耐えません。滋賀医大と相前後して新設された医科大学は全国に16大学を数え、これによって無医大県は一応解消いたしました。しかし、これらの大学の多数が更なる政府の構想に従って、それぞれ地元の大学と合併し、その医学部として吸収され改編されてゆきました。しかしながら滋賀医大は、今なお単科大学として創立以来の理念を貫き通し、理想に邁進しているのです。
私は、滋賀医大の創立記念式典に1度だけ参列させていただいたことがあります。そして思いました:定年で退職して去って行かれた初代教授の先生方が滋賀医大になんと思慮深い置土産を残していかれたことか、と。「湖国と共に」、これこそ滋賀医科大学の持続的活性剤として永久に機能するものに間違いありません。
私自身は2004年(平成17年)の創立30周年の翌年、滋賀医大を退職いたしました。その折、私は何を残しただろうと考えた時慄然としたのです。初代の先生方が思慮深く当たり前の様になさったことが、私には何かを当たり前の様に出来なかったのです。私には自分のためのささやかな夢がありました。学生たちに残す何かではなく、退職後も自分で出来る何かを、例えば、発展途上国で何か仕事をしてみたいと思っていたのです。
幸い、JICAのシニア海外ボランティアに応募することを勧めてくれる先輩がいました。そして、まるで夢の中の出来事の様に、面接があり、健康診断と語学試験があり、合格通知をもらったのです。そして、この年の暮れから2年間ボランティアとしてモロッコのタンジェー・パスツール研究所にJICAから派遣される事になったのです。
そして、そこで待っていたのは厳しい試練の研究生活でした。1913年に創立されたタンジェー・パスツール研究所は、タンジェーの地政学的好条件から幾度も国際情勢に翻弄され、特に、1957年にモロッコが独立したことで、フランス人研究者がいなくなりフランスからの援助もなくなったことの影響は大きかったようです。私がタンジェーを訪れた時には、長らく捨て置かれていた研究所の改装が終わり、わずかに現地の人たちが研究室に戻り始めているばかりでした。
こんな場合の解決方法は、各人各様だろうと思いますが、君たちならどうする・・・? 私の場合は、幸運だったのですが、大学院時代の友人(寄生虫学者)の仲介で研究用試薬と専門知識の両面から支援を受けることができ、まだまだ不完全ながらも、研究成果を一つの論文にめることが出来たのです。それが:"モロッコ、タンジェー市において遭遇する非病原性株と病原性株のPCR法による鑑別と同定"です。
タンジェー・パスツール研究所
首都ラバトでの研修期間中